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【徳島で過ごした学生時代】米津玄師の音楽と創作の原点

泉 日向子 泉 日向子 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

米津玄師は、1991年3月10日生まれ、徳島県出身です。幼い頃から絵を描くことが好きで、音楽だけでなく、イラストや映像制作にも関心を持っていました。

2015年の歌ネットの本人インタビューでは、幼少期は漫画家に憧れ、ドラえもんや『NARUTO』『ONE PIECE』などの漫画に親しんでいたことを語っています。

中学生時代に始めた作曲とバンド活動

音楽への関心が強くなったのは中学生の頃です。

本人のインタビューによると、BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、スピッツなどのバンドから影響を受け、自分でもオリジナル曲を作り始めました。

中学時代には友人とバンドを結成。既存曲を演奏するだけでなく、最初から自分で作った曲を演奏していたというエピソードも残っています。

一方、バンド活動については、後年のテレビ朝日系「EIGHT-JAM」でも振り返っています。

スポニチの2024年9月の報道によると、米津は共同作業が必ずしも得意ではなく、自分一人で作った曲をインターネットに投稿する方法に適性を感じていたと説明しました。

この経験が、後のハチ名義での活動につながっていきます。

高校時代は音楽制作に没頭

高校時代もバンド活動を続けながら、個人での楽曲制作を進めていました。

2015年の歌ネットのインタビューでは、高校3年間にニコニコ動画へ投稿した楽曲が約20曲、未発表作品も含めると約100曲を制作したと本人が明かしています。

当時から、作詞・作曲だけでなく、作品の世界観を形にすることにも力を注いでいました。

また、徳島で活動する同郷のバンド・チャットモンチーにも影響を受けています。

2017年のJ-WAVEのインタビューでは、徳島から素晴らしい音楽を生み出す彼女たちの姿が、自分も音楽で挑戦できるのではないかと思わせてくれたと語っています。

つまり、米津玄師の昔を理解するには、単にボカロPとしての過去を見るだけでは不十分です。

絵を描くこと、バンドで曲を作ること、一人で作品を完成させること。この3つが現在の表現活動の土台になっています。

【2009年のハチ時代】初音ミク・GUMIとニコニコ動画での活躍

米津玄師昔

米津玄師の過去を語るうえで、最も大きな転換点が2009年に始まったハチ名義での活動です。

当時のインターネットでは、ニコニコ動画を中心にVOCALOID楽曲を制作・投稿するクリエイターが増えていました。

米津もその流れの中で、音声合成ソフトを使った楽曲制作に取り組みます。

なぜハチという名義で活動したのか

2015年の歌ネットのインタビューで、米津はインターネット上では本名を使わず、ハンドルネームで活動する文化があったことを説明しています。

そのため、ハチという名前を使用して楽曲を投稿するようになりました。

当時のハチは、単にVOCALOIDに歌わせる楽曲を作るだけの存在ではありませんでした。

- 作詞・作曲を担当する
- VOCALOIDの歌唱を活用する
- 楽曲のイラストを描く
- ミュージックビデオを制作する
- 音楽と映像を一体化させる

こうした制作を自ら手掛けていたことが特徴です。

現在の米津玄師にも通じる、音楽とビジュアルを一体として表現するスタイルは、すでにこの時期から形成されていました。

初音ミクとGUMIを使用した代表曲


マトリョシカ

2010年8月19日発表
初音ミクとGUMIを起用した代表曲。独特のリズムや中毒性のあるサウンドで、ハチの名を広く知らしめた作品です。


パンダヒーロー

2011年1月23日発表
GUMIを使用した楽曲。疾走感のあるサウンドと印象的な映像表現が特徴です。


結ンデ開イテ羅刹ト骸

2009年発表
ハチの初期を代表する楽曲の一つ。独特の和風表現や物語性が印象に残る作品です。

特に「マトリョシカ」は大きな成功を収めました。

米津玄師の公式サイトによると、2017年12月15日にはニコニコ動画で再生回数1,000万回を突破しています。初音ミクとGUMIを組み合わせた作品として、VOCALOIDシーンを代表する楽曲になりました。

ハチ時代に発表したアルバム

ハチ名義では、2010年に2枚のアルバムをリリースしています。

- 『花束と水葬』
- 『OFFICIAL ORANGE』

どちらも米津の作家性を知るうえで重要な作品です。

当時から、音楽だけではなく、イラストや映像まで自分で制作するスタイルが確立されていたことが分かります。

この経験は、後の米津玄師名義でのアルバム制作にも引き継がれていきました。

【ハチと米津玄師、蛙屋の違い】昔の名義を分かりやすく整理

米津玄師の過去を調べると、ハチ、米津玄師、蛙屋という複数の名前が登場します。

それぞれを同じ意味で扱うと、活動の流れが分かりにくくなります。

ハチと米津玄師は別人ではない

まず押さえておきたいのは、ハチと米津玄師は同一人物だということです。

ハチは主にVOCALOID楽曲を制作する際に使われてきた名義であり、米津玄師は自身が歌うシンガーソングライターとしての名義です。

活動の方向性や作品の届け方に違いがあります。

比較項目 ハチ 米津玄師
活動開始 2009年 2012年
主な活動 ボカロP シンガーソングライター
歌唱 初音ミク・GUMIなど 本人の歌声
楽曲制作 作詞・作曲 作詞・作曲・編曲など
ビジュアル 自作イラスト・映像 自作アートワーク・MVなど
代表作品 マトリョシカ、パンダヒーロー Lemon、アイネクライネ、海の幽霊
蛙屋という名義は何だったのか

もう一つ、米津玄師の過去を調べると登場するのが「蛙屋(かわずや)」という名前です。

この名義は、ハチ名義のVOCALOID楽曲制作とは異なる、初期のインターネット上での歌唱活動に関連して紹介されることがあります。

ただし、ハチや米津玄師のように公式プロフィールやディスコグラフィーで詳しく整理されている名義ではありません。

そのため、蛙屋を現在の音楽活動と同じ規模の別プロジェクトとして捉えるのは適切ではありません。

読者が覚えておきたいのは、次の区別です。

- ハチ: VOCALOID楽曲を中心に活動したクリエイター名義。
- 米津玄師: 本人が歌うソロアーティスト名義。
- 蛙屋: 初期のネット上の活動に関連して言及される別名義。

この3つを整理すると、昔の活動をめぐる混乱が少なくなります。

【米津玄師の昔と現在の経歴比較】2009年から2026年までの年表

米津玄師の経歴は、単純なネット発アーティストからメジャー歌手への転身ではありません。

VOCALOID、セルフボーカル、映像制作、アニメ・映画とのタイアップ、海外展開という複数の領域を横断してきました。

公式プロフィールや作品情報を基に、主な転換点を整理します。

年代 主な出来事 キャリア上の意味
1991年 徳島県で誕生 創作活動の原点
中学生時代 バンド結成・作曲開始 音楽制作の基礎を形成
2009年 ハチ名義でVOCALOID楽曲を投稿 ネット音楽シーンで活動開始
2010年 『花束と水葬』『OFFICIAL ORANGE』を発表 ハチ名義で作品を展開
2012年 『diorama』をリリース 本名でのソロ活動開始
2013年 「サンタマリア」でメジャーデビュー 音楽活動を本格展開
2014年 『YANKEE』をリリース ライブ活動を開始
2017年 「砂の惑星」をハチ名義で発表 VOCALOIDシーンに再登場
2018年 「Lemon」が大ヒット 全国的な知名度を確立
2019年 「海の幽霊」を配信リリース 映画音楽でも存在感を発揮
2020年 『STRAY SHEEP』をリリース 大規模な商業的成功
2022年 「KICK BACK」を発表 海外チャートでも注目
2024年 『LOST CORNER』をリリース 多彩なタイアップを展開
2025年 『IRIS OUT』『JANE DOE』などを発表 国内外で活動を拡大
2026年 「烏」「夜鷹」、GHOSTツアー 国内外で新たな活動を展開
2012年の『diorama』が大きな転換点

2012年5月16日、米津玄師は初のアルバム『diorama』をリリースしました。

それまでのハチ名義とは異なり、本人がボーカルを担当した作品です。

公式プロフィールによれば、このアルバムでは作詞、作曲、編曲、プログラミング、歌唱、演奏、ミックスに加え、動画やアートワークまで本人が手掛けています。

2013年にはシングル「サンタマリア」をリリースし、メジャーデビューを果たしました。

この転換には、単に活動名を変えた以上の意味があります。

それまでVOCALOIDの歌声を通して届けていた作品を、自分自身の声で表現するようになったからです。

2018年「Lemon」で全国的な存在に

2018年は米津玄師のキャリアにおける大きな節目です。

TBS系ドラマ『アンナチュラル』の主題歌として制作された「Lemon」が大ヒット。音楽チャートや配信ランキングで数々の記録を残しました。

2018年のNHK紅白歌合戦では、徳島県からの中継で初めてテレビで歌唱しています。

インターネットで人気を獲得したハチ時代とは異なる形で、幅広い世代に米津玄師の名前が知られるようになりました。

【米津玄師の昔と現在の顔比較】顔の変化の真相は?

米津玄師について、昔の写真と現在の写真を比較すると、顔の印象が違うと感じる人も少なくありません。

特に話題になったのは、長い前髪で目元を隠していた時期から、顔全体を見せるヘアスタイルへ変化したことです。

昔の写真で印象的だった長い前髪

活動初期の米津玄師は、目元が隠れるほど長い前髪が特徴的でした。

そのため、過去のアーティスト写真やMVでは、顔全体よりも髪型やシルエット、映像の世界観が強く印象に残ります。

ハチ時代のイラストや映像にも、本人の顔を前面に出さず、作品そのものを中心に見せる表現が多く見られました。

2015年の歌ネットのインタビューでも、米津は米津玄師名義で活動するなら顔を出す必要があると考えていたことを語っています。

つまり、初期のビジュアルと現在のビジュアルには、活動スタイルの違いも反映されているのです。

2023年のヘアスタイル変更が注目された理由

大きな注目を集めたのが、2023年3月15日のTBS系「Nスタ」への出演です。

週刊女性PRIMEの2023年3月18日の報道では、それまでの長い前髪とは異なり、顔全体が見えるヘアスタイルで登場したことが紹介されました。

この出演をきっかけに、昔からのファンだけでなく、普段は音楽番組を中心に見ていた視聴者にも外見の変化が注目されました。

特に話題になった要点は次のとおりです。

- 前髪で隠れていた目元が見えるようになった
- 顔全体の輪郭が分かりやすくなった
- 髪型や衣装の印象が以前と異なっていた
- メディアで顔全体を確認できる機会が増えた

整形したという噂は本当なのか

顔の変化については、美容整形を疑う声もインターネット上で見られます。

また、歯科矯正によって口元の印象が変わったのではないかという話もあります。

週刊女性PRIMEは2023年の記事で、2017年頃から2019年頃にかけて歯科矯正をしていたというファンの見方を紹介しています。

ただし、これは同記事で紹介されたファン側の証言であり、本人が公表した医療情報ではありません。

美容整形についても、本人や所属事務所が公表した事実として確認できる情報はありません。

したがって、写真の比較だけで整形の有無を判断することはできません。

顔の印象が変わった背景として考えられるのは、髪型、表情、撮影条件、年齢による自然な変化、そして顔全体を見せる機会の増加です。

昔と現在の写真を比べる際には、撮影時期や角度、照明まで考慮する必要があります。

【海の幽霊から2026年最新活動へ】米津玄師は現在どう進化した?

昔のハチ時代から現在までの変化を理解するうえで、2019年の「海の幽霊」も重要な作品です。

2019年6月3日「海の幽霊」をリリース

「海の幽霊」は、五十嵐大介の漫画を原作とするアニメーション映画『海獣の子供』の主題歌です。

米津玄師の公式ディスコグラフィーによると、2019年6月3日に配信リリースされました。

この楽曲は、壮大なサウンドと繊細な歌声、独特の世界観が特徴です。

初期のハチ時代に見られた幻想的な表現や物語性を感じさせながら、本人の歌声によって作品世界を構築しています。

また、米津玄師は作詞・作曲だけでなく、作品のビジュアル面でも自身の感性を発揮してきました。

ソニー・ミュージックレーベルズとの現在の活動

米津玄師の作品は、ソニー・ミュージックレーベルズの公式アーティストページでも紹介されています。

ハチ時代から続く個人制作の強みを維持しながら、映画、テレビドラマ、アニメーションなど、さまざまなメディアと連携する活動へ広がっています。

代表的な作品を振り返ると、次のようになります。

- 「Lemon」:ドラマ『アンナチュラル』主題歌
- 「海の幽霊」:映画『海獣の子供』主題歌
- 「感電」:ドラマ『MIU404』主題歌
- 「KICK BACK」:アニメ『チェンソーマン』オープニングテーマ
- 「さよーならまたいつか!」:NHK連続テレビ小説『虎に翼』主題歌
- 「IRIS OUT」:劇場版『チェンソーマン レゼ篇』主題歌

これらの作品には、ハチ時代から続く独自の音楽性と、幅広いジャンルへの対応力が表れています。

2026年11月現在の最新活動

2026年11月6日現在

2026年も米津玄師は精力的に活動しています。

公式サイトやソニーミュージックの作品情報で確認できる主な動きは以下のとおりです。


「烏」

2026年6月15日配信
2026年NHKサッカーテーマとして発表された楽曲。


「夜鷹」

2026年7月13日配信
映画『キングダム 魂の決戦』の主題歌。


「Lemon」MV再生10億回突破

2026年11月3日
公式発表によると、YouTubeのミュージックビデオ再生回数が10億回を突破しました。

加えて、2026年11月6日から12月17日まで、国内アリーナツアー「米津玄師 2026 TOUR / GHOST」を開催。

続いて12月26日から2027年2月28日まで、2026-2027 WORLD TOUR / GHOSTも予定されています。

昔のニコニコ動画を活動の中心としていた時代と比べると、活動の規模や届ける地域は大きく広がりました。

それでも、自分で作品を作り、音楽と映像を組み合わせて世界観を伝えるという基本姿勢は一貫しています。

【米津玄師の昔に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:米津玄師は昔、何という名前で活動していた?

A1:主に「ハチ」という名義で活動していました。2009年からニコニコ動画にVOCALOID楽曲を投稿し、ボカロPとして人気を獲得しました。また、蛙屋という別名義も一部の資料で紹介されています。

Q2:米津玄師の昔の写真はどこで見られる?

A2:本人の公式サイトのギャラリーや、過去のアーティスト写真、公式ミュージックビデオなどで活動初期の姿を確認できます。2010年代の写真と近年の写真を比較すると、髪型やビジュアル表現の違いが分かります。

Q3:米津玄師は学生時代から音楽活動をしていた?

A3:はい。中学生の頃から作曲を始め、友人とバンドを結成しています。高校時代にはハチ名義でのネット上の音楽活動にも取り組んでいました。

Q4:ハチ時代と米津玄師時代の違いは?

A4:ハチ時代はVOCALOIDを使った楽曲制作が中心で、米津玄師名義では本人が歌うシンガーソングライターとして活動しています。どちらも同一人物による創作活動です。

Q5:米津玄師の顔が昔と現在で違うのは整形したから?

A5:美容整形を本人が公表した事実は確認できません。前髪や髪型の変化、表情、撮影条件などによって印象が異なって見えることがあります。歯科矯正についても、報道で紹介されたファンの見方と本人の公式発表は区別する必要があります。

Q6:米津玄師は2026年現在もハチ名義で活動している?

A6:はい。2017年には「砂の惑星 feat.初音ミク」、2024年には「ドーナツホール2024」をハチ名義で発表しています。米津玄師名義とハチ名義の両方で創作活動を展開してきました。

米津玄師の昔を振り返ると、現在の成功につながる創作の原点が見えてきます。

徳島県で過ごした学生時代には、絵を描き、バンドを組み、自分の音楽を作ることに没頭していました。

2009年にはハチ名義でVOCALOID楽曲をニコニコ動画に投稿し、「マトリョシカ」「パンダヒーロー」などの作品で人気を獲得。2012年には本名の米津玄師名義で『diorama』を発表し、翌年にはメジャーデビューを果たしました。

その後、「Lemon」「海の幽霊」「KICK BACK」などのヒット作を生み出し、2026年には国内外のツアーへと活動を広げています。

昔と現在で顔や雰囲気が違って見えることも話題ですが、それ以上に注目したいのは、音楽、絵、映像を一体化させる表現力が昔から現在まで受け継がれている点です。

米津玄師の過去は、現在の米津玄師とは切り離されたものではありません。ハチ時代の挑戦こそが、現在の独創的な音楽世界を形作る重要な出発点だったのです。

主な参考資料:米津玄師公式サイト「REISSUE RECORDS」プロフィール・ディスコグラフィー、ソニーミュージック公式プロフィール、歌ネット2015年本人インタビュー、J-WAVEインタビュー、スポニチ2024年9月9日報道、週刊女性PRIME2023年3月18日報道。

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デジタルマーケター 泉 日向子
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リーグ公式の記録ページと球団発表を出典とし、成績は集計期間を明記。現地取材と配信情報を区別して記述します。

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