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徳山壮磨のプロフィールと現在は?姫路出身の元DeNA投手の経歴を徹底解説

岩崎 蓮司 岩崎 蓮司 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

徳山壮磨(とくやま・そうま)は、1999年6月6日生まれ、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手です。右投右打の投手として、大阪桐蔭高校、早稲田大学を経て、2021年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから2位指名を受けました。高校時代には2017年春の選抜高校野球大会で優勝投手となり、大学時代にも東京六大学野球で最優秀防御率とベストナインを獲得しています。

プロ野球選手としての活動は2022年から2025年までの4年間。2024年には一軍で29試合に登板し、プロ初勝利と8ホールドを記録しました。その後、腰椎椎間板ヘルニアによる手術や戦力外通告を経て、2025年12月に現役引退を発表。2026年は横浜DeNAベイスターズの球団職員として広報業務に携わっています。この記事では、徳山壮磨のプロフィール、姫路での少年時代、高校・大学時代、プロ野球選手時代、そして現在までを時系列で解説します。

【徳山壮磨はどんな元プロ野球選手?プロフィールと基本情報】

徳山壮磨

徳山壮磨は、アマチュア時代から全国的な実績を残してきた右腕です。大阪桐蔭高校での甲子園優勝、早稲田大学でのタイトル獲得を経て、横浜DeNAベイスターズに入団しました。

まずは、人物を理解するうえで押さえておきたい基本プロフィールを整理します。

  • 名前:徳山壮磨(とくやま・そうま)
  • 生年月日:1999年6月6日
  • 年齢:27歳(2026年11月現在)
  • 出身地:兵庫県姫路市
  • 出身高校:大阪桐蔭高校
  • 出身大学:早稲田大学
  • ポジション:投手
  • 投打:右投右打
  • 身長:183cm
  • 体重:87kg(NPB掲載値)
  • ドラフト:2021年ドラフト2位
  • 元所属球団:横浜DeNAベイスターズ
  • プロ在籍期間:2022年~2025年

生年月日や投打、身長、体重、ドラフト順位については、日本野球機構(NPB)の個人年度別成績に掲載されています。また、野球日本代表・侍ジャパンの公式プロフィールにも1999年6月6日生まれ、右投右打、兵庫県姫路市の小学校・中学校に在籍していた経歴が記録されています。

出身地については、神戸新聞も姫路市立高丘中学校出身と報道しています。したがって、徳山壮磨は兵庫県出身というだけでなく、姫路市に少年時代の野球の原点がある選手です。

なお、183cmという長身と右投右打のプロフィールは、投手としての基本的な身体的特徴を示すものです。実際の評価では、身体の大きさだけでなく、投球のキレや制球力、変化球を組み合わせる能力も要点でした。

【姫路から大阪桐蔭、早稲田大学へ!徳山壮磨の経歴】

徳山壮磨の野球人生を振り返ると、地元・姫路で競技を始め、大阪桐蔭で全国優勝を経験し、早稲田大学で大学野球の実績を積み上げるという流れが見えてきます。

少年時代は兵庫県姫路市でソフトボールを経験

徳山は小学3年生のときにソフトボールを始めました。侍ジャパン公式プロフィールによると、野球を始めたきっかけは友人に誘われたことだったとされています。

小学生時代は姫路市立高岡小学校に通い、今宿ヴィクトリーズでソフトボールを経験。その後、姫路市立高丘中学校に進学し、兵庫夢前クラブで硬式野球に取り組みました。

この経歴から分かるのは、徳山が最初から高校野球の名門で競技を始めたわけではないということです。地元のチームで基礎を身につけ、中学校で硬式野球に進み、全国レベルの選手へと成長していきました。

姫路市出身の選手として注目された背景には、こうした地域に根差した少年時代があります。

大阪桐蔭高校で2017年春のセンバツ優勝

徳山の名前が全国に知られる大きなきっかけとなったのが、大阪桐蔭高校への進学です。

大阪桐蔭では1年秋からベンチ入りし、2016年春に甲子園へ初出場。2017年春にはエースとして第89回選抜高等学校野球大会に臨み、チームの全国制覇に貢献しました。

当時の徳山は、試合を任される中心投手の一人でした。甲子園という大舞台で優勝を経験したことは、その後の大学進学やプロ入りにつながる重要な実績です。

2017年夏にも甲子園に出場し、高校時代には春・夏を合わせて3度の甲子園出場を経験。さらに同年の第28回WBSC U-18ベースボールワールドカップでは、侍ジャパンU-18代表の投手として選出されています。

侍ジャパン公式プロフィールには、投球フォームのしなやかさを自身のアピールポイントとして挙げていたことも記録されています。

早稲田大学では最優秀防御率とベストナインを獲得

2018年、徳山は早稲田大学スポーツ科学部に進学し、野球部に入部しました。大学1年春からベンチ入りし、東京六大学野球の舞台で経験を積みます。

大学時代の大きな実績は、2020年の東京六大学野球春季リーグ戦です。このシーズン、徳山は防御率0.00を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。さらにベストナインにも選出されました。

早稲田大学競技スポーツセンターの公式記録でも、このタイトル獲得が紹介されています。高校時代の全国優勝に続き、大学でも個人タイトルを手にしたことは、プロのスカウトから評価される重要な材料になりました。

一方、大学生活が常に順調だったわけではありません。本人は早稲田大学のインタビューで、大学3年秋ごろからスランプに陥り、4年春には納得のいく投球ができなかったと振り返っています。その後、直球の投げ方などを見直し、秋季リーグで本来の投球を取り戻しました。

2022年1月に公開された早稲田大学のインタビューでは、投手としての強みについて次のように語っています。

「僕は、投球のキレに自信を持っています。」

また、プロでは中継ぎでも先発でも任された役割を全うし、将来的には先発投手として活躍することを目標にしていました。こうした本人の言葉からも、単に球速だけに頼るのではなく、投球の質を磨くことを重視していた姿勢がうかがえます。

2021年10月11日のドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから2位指名を受けました。高校と大学の両方で実績を残した右腕が、いよいよプロの世界へ進むことになったのです。

【徳山壮磨のプロ野球選手時代|DeNAでの成績と転機】

2022年に横浜DeNAベイスターズへ入団した徳山は、背番号15を背負ってプロ生活をスタートしました。ドラフト2位という期待を受けながらも、プロでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

プロ入り後の最初の2年間は一軍定着に苦戦

大阪桐蔭と早稲田大学で輝かしい実績を残していた徳山ですが、プロの世界ではアマチュア時代と異なる課題に直面します。

2022年、2023年は一軍での登板機会を得られず、ファームで経験を積む時間が続きました。特に2023年は、イップスなど精神面の問題にも苦しんだことが報じられています。

日刊スポーツの報道によると、当時は投げることへの恐怖心を感じる状況もありました。徳山は一試合ごとに自分ができたことに目を向け、少しずつ自信を積み上げていったとされています。

高校・大学で結果を残してきた選手であっても、プロの環境に適応するには時間がかかります。徳山の最初の2年間は、実績のあるアマチュア選手がプロで直面する難しさを示す期間でもありました。

2024年にプロ初登板・初勝利を達成

転機となったのはプロ3年目の2024年です。

この年、徳山は初めて開幕一軍入りを果たし、シーズン序盤からリリーフ投手として登板機会を獲得。力のある直球や変化球を武器に、ブルペンの一角を担うようになりました。

7月9日の中日戦では、同点で迎えた延長11回に登板。捕手・山本祐大の守備にも助けられながら無失点に抑え、プロ初勝利を手にしました。

この試合は、徳山にとってプロ入り後の努力が一軍での結果につながった象徴的な出来事です。

NPB公式の年度別成績による2024年の一軍記録は、次のとおりです。

  • 登板:29試合
  • 勝利:1勝
  • 敗戦:1敗
  • ホールド:8
  • 投球回:29回1/3
  • 奪三振:12
  • 防御率:2.45

特に注目したいのは、防御率2.45という数字です。一軍で29試合に登板し、セットアッパーを任される場面もあったことから、単なる一軍昇格にとどまらず、ブルペンの戦力として存在感を示したシーズンでした。

この2024年は、徳山のプロ生活におけるキャリアハイのシーズンとして位置づけられます。

腰椎椎間板ヘルニアによる離脱と手術

順調に見えた2024年でしたが、シーズン途中で大きな転機が訪れます。

7月16日に出場選手登録を抹消された徳山は、その後、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。日刊スポーツは2024年8月、徳山が同疾患で離脱していることを報道しています。

さらに同年9月5日には、内視鏡下腰椎椎間板摘出術を受けました。球団はリハビリを経て翌シーズンの復帰を目指す方針でした。

2024年は一軍で結果を残し、投手としての評価を高めた年である一方、身体的な問題によってシーズンを最後まで戦い抜けなかった年でもあります。

2025年の一軍復帰が期待されましたが、結果的に一軍登板はありませんでした。

【徳山壮磨の経歴年表|姫路からDeNAまでの関係性を整理】

ここまでの歩みを、出身地や所属チーム、主要な実績との関係から整理します。徳山壮磨の経歴は、地元の少年野球から高校野球、大学野球、プロ野球へと段階的につながっています。

時期 所属・関係する組織 主な出来事・実績
小学生時代 今宿ヴィクトリーズ 姫路市立高岡小学校でソフトボールを始める
中学生時代 兵庫夢前クラブ 姫路市立高丘中学校で硬式野球に取り組む
2015~2017年 大阪桐蔭高校 甲子園に3度出場。2017年春のセンバツで全国優勝
2017年 侍ジャパンU-18 第28回WBSC U-18ベースボールワールドカップに出場
2018~2021年 早稲田大学 2020年春に最優秀防御率・ベストナインを獲得
2021年10月 横浜DeNAベイスターズ ドラフト2位指名
2022~2025年 横浜DeNAベイスターズ プロ入り。2024年に一軍29試合登板、初勝利を達成
2025年12月~ 横浜DeNAベイスターズ 現役引退を発表し、球団職員へ転身

この年表から分かるように、徳山の野球人生には、大阪桐蔭高校と早稲田大学という二つの大きな実績が存在します。

また、姫路市の少年チームから侍ジャパンU-18まで進んだことも、選手としての成長過程を理解するうえで重要です。

特に2020年の大学タイトル獲得と2024年のプロ初勝利は、それぞれアマチュア野球とプロ野球で結果を残した代表的な転換点といえます。

【徳山壮磨の現在は?2025年の引退と2026年の新しい仕事】

徳山壮磨の現在を知りたい人にとって、最も重要なのは2025年から2026年にかけての動きです。

2025年9月にDeNAから戦力外通告

2025年9月30日、横浜DeNAベイスターズは徳山に対して、2026年シーズンの選手契約を結ばないことを通知しました。

球団の公式発表にも、背番号15の投手として徳山壮磨の名前が掲載されています。

2025年は前年の腰の手術からの復帰を目指すシーズンでしたが、一軍への昇格はありませんでした。ファームでは36試合に登板し、防御率3.31を記録したと報じられています。

戦力外通告を受けた当初、徳山は現役続行を希望していました。2025年11月12日に行われたプロ野球選手会のトライアウトにも参加し、持ち球のツーシームなどをアピールしています。

2025年12月に現役引退を発表

しかし、2025年12月3日から4日にかけて、徳山は自身のInstagramを通じて現役引退を公表しました。

本人は小学3年生から始めたソフトボールを含め、プロ4年目までの18年間にわたる競技生活を振り返っています。

また、プロ野球選手として4年間プレーできたことへの感謝を示す一方、もっと活躍して家族に恩返しや親孝行をしたかったという悔しさも明かしました。

この発表で注目されたのは、引退後の進路です。

徳山は、横浜DeNAベイスターズの球団職員として働くことを明らかにしました。選手としてのキャリアには区切りをつけるものの、野球界やベイスターズとの関係を終わらせる選択ではありませんでした。

2026年はDeNAの球団広報として活動

2026年に入ると、徳山は球団広報として新たな仕事を始めています。

2026年1月7日には、横浜DeNAベイスターズの公式SNSで、球団職員として広報業務を担当する徳山を紹介する発信がありました。

加えて、2026年3月14日公開の週刊ベースボールONLINEの企画では、「新米広報部員」として登場。春季キャンプ中の選手たちの様子を撮影し、現役時代に一緒にプレーした選手の素顔を紹介しています。

同企画では、大阪桐蔭高校の先輩である藤浪晋太郎投手や、同世代で高校・大学時代から投げ合ってきた竹田祐投手との関係にも触れています。

現役時代には同じチームで競い合っていた選手たちを、今度は広報という立場から紹介することになりました。

選手としての経験を持つ人材が広報に携わることには、競技者の視点を発信に生かせるという利点があります。練習中の雰囲気や選手同士の関係性など、外部の記者とは異なる距離感で伝えられる情報もあるからです。

2026年11月現在、徳山壮磨は現役のプロ野球選手ではなく、横浜DeNAベイスターズの球団職員として新しいキャリアを歩んでいます。

【よくある誤解と徳山壮磨の評価|プロの結論】

徳山壮磨の経歴を調べる際には、アマチュア時代の実績、プロでの成績、引退後の活動を分けて理解することが大切です。

誤解1:甲子園優勝投手だからプロでもすぐに活躍した?

徳山は大阪桐蔭のエースとして2017年春のセンバツ優勝を経験し、早稲田大学でも個人タイトルを獲得しました。しかし、プロ入り後すぐに一軍で活躍できたわけではありません。

プロ1年目と2年目は一軍登板がなく、精神面の問題にも苦しみました。2024年になって初めて一軍で本格的に登板機会を獲得しています。

この経歴は、アマチュアでの実績とプロでの成績が必ずしも直結しないことを示しています。

誤解2:2025年の戦力外通告と同時に引退した?

正確には異なります。2025年9月30日に戦力外通告を受けた時点では現役続行を希望しており、11月にはトライアウトにも参加しました。

その後、12月に本人が現役引退を発表しています。戦力外通告と引退発表は別の出来事であり、時系列を混同しないことが重要です。

誤解3:引退後は野球界を離れた?

これも正確ではありません。徳山は引退後もDeNAに所属し、2026年から球団広報として活動しています。

選手としてマウンドに立つ立場から、チームの魅力や選手の姿を伝える立場へと役割が変わりました。

【プロの結論】徳山壮磨のキャリアから分かる3つのポイント

徳山の野球人生を評価するうえで、押さえておきたい要点は次の3つです。

  • アマチュア時代の実績:大阪桐蔭での全国制覇、早稲田大学での個人タイトル獲得は、客観的に評価できる実績です。
  • プロでの到達点:2024年には一軍29試合、防御率2.45、8ホールドを記録。短い一軍キャリアの中でも、リリーフとして結果を残したシーズンがありました。
  • 引退後のキャリア:現役引退後もDeNAに残り、広報業務を担当。選手時代の経験を別の形でチームに還元しています。

特に注目したいのは、2024年の実績を単なる通過点として扱わないことです。プロ初勝利を挙げ、勝ちパターンの継投を任されるまでに成長したことは、徳山の選手としての実力を示す重要な記録です。

一方で、現役生活は4年間で終わりました。華やかなアマチュア実績だけでなく、プロで直面した困難やけが、そして引退後の選択まで含めて捉えることで、徳山壮磨という人物のキャリアをより正確に理解できます。

【徳山壮磨に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:徳山壮磨の生年月日と年齢は?

A1:1999年6月6日生まれです。2026年11月現在は27歳です。

Q2:徳山壮磨の出身地はどこ?

A2:兵庫県姫路市です。姫路市立高岡小学校でソフトボールを始め、姫路市立高丘中学校では兵庫夢前クラブに所属していました。

Q3:徳山壮磨は現在何をしている?

A3:2025年12月に現役引退を発表し、2026年から横浜DeNAベイスターズの球団職員として広報業務を担当しています。

Q4:徳山壮磨のプロ野球での最高成績は?

A4:2024年の一軍29試合登板、1勝1敗、8ホールド、防御率2.45が代表的な実績です。同年7月9日には中日戦でプロ初勝利を挙げました。

Q5:徳山壮磨はなぜ現役を引退した?

A5:2025年にDeNAから戦力外通告を受け、トライアウトにも参加しましたが、同年12月に本人が現役引退を発表しました。本人はプロ生活への感謝とともに、4年間で引退することへの悔しさも語っています。腰椎椎間板ヘルニアの手術を経験したことも、選手時代の経緯として報じられています。

徳山壮磨は、1999年6月6日生まれ、兵庫県姫路市出身の元プロ野球投手です。右投右打の投手として、大阪桐蔭高校で2017年春のセンバツ優勝を経験し、早稲田大学では最優秀防御率とベストナインを獲得しました。

2021年のドラフト2位で横浜DeNAベイスターズに入団し、2024年には一軍29試合に登板。プロ初勝利と8ホールドを記録するなど、リリーフ投手として存在感を示しました。しかし、腰椎椎間板ヘルニアによる離脱を経て、2025年12月に現役引退を決断しています。

2026年はDeNAの球団広報として活動しており、選手時代とは異なる立場からチームを支えています。

徳山壮磨の経歴を理解するうえで大切なのは、甲子園優勝や大学タイトルといった華やかな実績だけでなく、プロでの苦労、2024年の飛躍、そして引退後の新しい挑戦までを一つのキャリアとして見ることです。

姫路で野球を始めた少年が、全国優勝、大学野球、プロ野球を経験し、球団広報として新たな道を歩み始めた。その歩みは、野球選手のキャリアが現役引退によって終わるわけではないことも伝えています。

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岩崎 蓮司

メーカー公式スペックシートと実機検証を突き合わせて評価。ベンチマークは測定条件を明記し、自前計測値と公表値を区別して記載します。

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