評論家・編集者として活躍した山田五郎さんは、2024年10月4日、自身のYouTubeチャンネルでステージ4Bの原発不明がんを患っていることを公表しました。骨やリンパへの転移、腰椎圧迫骨折が判明し、抗がん剤治療を受けながら執筆活動やテレビ出演、YouTubeでの発信を続けていました。
しかし、2026年3月には昏睡状態に陥り、その後は車いす生活や酸素吸入が必要になるなど病状が変化。2026年7月14日夕方、67歳で亡くなりました。所属事務所の担当マネージャーが7月22日に公式YouTubeで訃報を発表しています。
【山田五郎さんのがんは原発不明がん】2024年10月に公表したステージ4Bの病状
山田五郎さんががんを公表したのは、2024年10月4日です。
自身のYouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」で「皆さまへのご報告」と題した動画を公開し、以前から心配されていた腰の不調について、実はがんが原因だったと説明しました。
本人の説明によると、がんはすでに骨やリンパ、肝臓などに広がっていました。特に骨への転移によって腰椎が圧迫骨折を起こしており、当初はぎっくり腰だと思っていた症状が、実際には深刻な病気によるものだったのです。
複数の検査を受けても、がんが最初に発生した臓器を特定できませんでした。そのため、診断名は原発不明がんとなりました。
進行度について山田さんは、転移が広がっている状況から「ステージ4Bとかじゃないですか」と説明。手術は難しく、化学療法を中心に治療することになったと明かしています。
公表時点ですでに抗がん剤治療を受けており、腰には放射線治療も実施。痛みは大きく軽減したものの、骨が回復するまでコルセットを着用する生活が続きました。
山田さんは当時、病気を隠し続けるのではなく、視聴者に現状を伝えたうえで活動を続ける姿勢を示しました。「がんと共に生きる」という言葉には、治療と仕事を両立させようとする本人の考えが表れていました。
【腰痛から人間ドックで発覚】山田五郎さんの診断までの経緯
山田五郎さんの闘病生活は、突然の激しい症状から始まったわけではありません。最初に現れたのは、腰の痛みでした。
2024年6月末:ぎっくり腰と思っていた腰の痛み2026年1月に公開された集英社オンラインの対談で、山田さんは2024年6月末に腰を痛めたと振り返っています。
近所の整形外科を受診した際には骨折の可能性を指摘され、MRI検査を勧められました。しかし、仕事が忙しかったこともあり、本人は筋肉の痛みだと考えて痛み止めを服用していました。
2024年7月:咳をした際に肋骨を骨折その後、7月には咳をした瞬間に肋骨が折れる出来事もありました。
本人によると、以前にも肋骨を折った経験があったため、当初は大きな異常だと認識していなかったそうです。
2024年7月末〜8月初旬:人間ドックと精密検査7月末に受けた人間ドックで、医師から速やかなMRI検査を勧められました。
その後、提携する大学病院でMRIとPET検査を実施。骨やリンパ、肝臓にがんを疑う病変が多数確認されました。
山田さんは、5か月前の人間ドックではMRI検査に異常がなかったことも対談で明かしています。短期間で病変が広がっていたことは、本人にとっても大きな衝撃だったようです。
なお、担当マネージャーは2026年7月の訃報発表で、がんの診断時期を2024年7月と説明しています。本人が後年に語った検査の時系列とは月単位で多少の幅があるため、診断に至った時期は2024年夏と捉えるのが適切です。
【2024年から2026年まで】山田五郎さんの闘病生活と活動の年表
山田五郎さんの闘病生活は約2年間に及びました。がんの診断から公表、治療、仕事への復帰、そして最期までの主な出来事を時系列で整理します。
| 時期 | 出来事 | 病状・活動の状況 |
|---|---|---|
| 2024年6月末 | 腰の痛みが発生 | ぎっくり腰と思い、整形外科を受診 |
| 2024年7月末 | 人間ドックを受診 | 精密検査を勧められる |
| 2024年8月初旬 | MRI・PET検査 | 骨・リンパ・肝臓に病変が確認される |
| 2024年10月4日 | がんを公表 | 原発不明がん、ステージ4Bと説明 |
| 2025年10月7日 | 第17回伊丹十三賞の贈呈式 | 抗がん剤治療を続けながら公の場に出席 |
| 2026年1月31日 | 集英社オンラインの対談 | 治療内容や副作用、仕事との両立について語る |
| 2026年3月 | 一時昏睡状態に | 後の動画で車いす生活や呼吸困難を明かす |
| 2026年7月14日 | 死去 | 67歳。夕方に亡くなる |
| 2026年7月22日 | 担当マネージャーが訃報発表 | 所属事務所の公式発表として死去を公表 |
| 2026年7月31日 | 最後の講義動画を公開 | 「メメント・モリ」をテーマにした約20分の講義 |
この年表から分かるのは、山田さんが病気を公表した後も、単に療養に専念していたわけではないということです。
2025年には第17回伊丹十三賞を受賞し、贈呈式にも出席。自身のYouTube番組が評価されたことを喜び、治療を受けながら活動を続けていました。
一方、2026年に入ってからは病状が大きく変化します。1月の対談では治療の副作用について具体的に語っていましたが、3月には昏睡状態を経験。その後、身体機能も徐々に低下していきました。
【原発不明がんとは何か】原因・特徴とステージ4Bの意味
山田五郎さんの病名である原発不明がんは、一般的ながんとは少し異なる診断上の特徴を持っています。
原発不明がんとは、最初に発生した臓器が分からないがん国立がん研究センターのがん情報サービスによると、原発不明がんとは、リンパ節や離れた臓器などに転移したがんが確認されているにもかかわらず、十分な検査を行っても最初に発生した臓器を特定できないがんの総称です。
ここでいう「原発」は、がんが最初に発生した部位を意味します。原子力発電所とは一切関係ありません。
通常の転移性がんでは、肺や胃、大腸など、最初にがんが発生した臓器を特定できる場合があります。しかし、原発不明がんでは、転移した場所が判明しても、その出発点となった臓器が分からないことがあります。
原発不明がんの原因と主な特徴原発不明がんという診断は、がんの発生原因が特定されたという意味ではありません。あくまで、検査を尽くしても原発巣が分からないという診断上の分類です。
国立がん研究センターによると、転移が見つかりやすい部位にはリンパ節、胸膜、腹膜、肺、肝臓、骨などがあります。
また、症状は転移した場所によって異なります。骨に転移した場合は痛みや骨折、脊椎への転移では神経の圧迫によるしびれや麻痺などが生じる可能性があります。
山田さんの場合も、骨への転移が腰椎圧迫骨折につながり、腰痛として症状が現れました。
ステージ4Bはどのような状態なのかステージ4は、がんが原発部位から離れた臓器などに転移している進行した状態を示す分類です。ただし、ステージの細かな定義はがんの種類によって異なります。
山田さんは2024年10月の公表時、骨やリンパなど複数の部位への転移を説明し、自身の病状をステージ4Bと表現しました。
重要なのは、ステージ4という数字だけで個人の余命や治療経過を一律に判断できないことです。原発不明がんも患者によって病理学的な特徴や治療への反応が異なります。
東京都立駒込病院の希少がん専門医・下山達医師も、2026年1月の集英社オンラインの対談で、原発不明がんは診断や治療が難しく、患者ごとに経過が大きく異なることを説明しています。
【抗がん剤治療と仕事の両立】山田五郎さんが明かした副作用と治療内容
山田五郎さんの闘病で注目されたのが、抗がん剤治療を続けながら仕事を手放さなかったことです。
2024年10月の公表時には、手術が難しいため化学療法を中心に治療すると説明。その後のインタビューでは、実際に受けた治療や副作用について、さらに詳しい内容を明かしています。
最初の抗がん剤はカルボプラチンとパクリタキセル2026年1月31日公開の集英社オンラインの対談で、山田さんは最初に使用した抗がん剤がカルボプラチンとパクリタキセルだったと説明しました。
本人によると、この治療は比較的効果があり、腫瘍が小さくなったといいます。
しかし、約6か月治療を続けたところ、腫瘍マーカーCA19-9の数値が上昇。主治医と相談した結果、治療方針を変更することになりました。
オプジーボへの変更と治療中止次に試したのが、免疫チェックポイント阻害薬のオプジーボ(一般名ニボルマブ)でした。
山田さんは事前のがんゲノム検査で、オプジーボが効きにくい可能性を示す結果が出ていたものの、主治医と相談して治療を試みたと説明しています。
当初は副作用も比較的軽かったものの、その後は39度前後の高熱が頻繁に発生。画像検査でも効果が確認できず、最終的に投与を中止したといいます。
この経緯は、原発不明がんの治療が一つの薬剤だけで完結するとは限らず、検査結果や治療反応を見ながら方針を調整する必要があることを示しています。
腰椎圧迫骨折には放射線治療も実施抗がん剤治療と並行して行われたのが、腰椎への放射線治療です。
山田さんは腰椎への転移による痛みに対して放射線治療を受け、本人の表現では劇的に痛みが軽減しました。
ただし、痛みが取れたからといって骨そのものがすぐに回復したわけではありません。2026年1月の対談では、骨が回復するまで約半年間コルセットを着用していたと振り返っています。
抗がん剤の副作用で原稿執筆や趣味にも影響山田さんが語った副作用の中でも、特に深刻だったのが末梢神経障害です。
手足の指先の感覚が鈍くなり、原稿を執筆する際のタイピングにもミスが増えたといいます。趣味だった時計の修理やギター演奏にも支障が出ていました。
また、以前の抗がん剤では点滴後2〜3日ほど強い倦怠感があり、階段を上ることや座っていることさえつらい日が続いたそうです。
別の薬では吐き気が強く、炊飯時のご飯の匂いも受け付けなくなりました。制吐剤を併用することで症状は軽減したものの、外見からは分かりにくい苦痛を抱えていました。
それでも山田さんは、副作用が比較的軽い日には仕事を続けていました。2025年10月には第17回伊丹十三賞の贈呈式に出席し、YouTube番組の評価を喜ぶ姿も報道されています。
当時は抗がん剤治療を続けながら、食事も取れていると説明。体重が一時約10キロ減少したものの、受賞を喜んで食欲が戻り、63.8キロになったことも明かしていました。
このように、治療中の体調には波があり、外見や短時間の出演だけでは本人の身体的な負担を把握できなかったことが分かります。
【2026年7月14日に死去】昏睡状態から最期のYouTube動画まで
2026年に入ってから、山田五郎さんの病状は大きく変わりました。
2026年7月17日に公開された近況報告動画では、本人が3月に昏睡状態になったことや、その後の身体の変化を説明しています。
2026年3月:昏睡状態と車いす生活山田さんは7月公開の動画で、3月に昏睡状態になった後、歩けなくなり車いす生活になったと説明しました。
加えて、腹水と胸水がたまり、呼吸が困難になったため、鼻に医療用の酸素チューブを装着するようになったといいます。
食事にも深刻な影響が出ていました。以前は食べることを元気の目安としていた山田さんでしたが、この時点では固形物をほとんど食べられず、長年の習慣だった喫煙もできなくなっていました。
それまでの明るい発信とは対照的に、本人が自ら深刻な身体状況を語った動画となりました。
2026年7月14日夕方:67歳で死去2026年7月22日、山田五郎さんの公式YouTubeチャンネルに「山田五郎 所属事務所からのご報告」という動画が公開されました。
動画には、20年以上にわたり山田さんと仕事をしてきた担当マネージャーが出演。山田さんのスーツを着用して訃報を伝えました。
2026年7月14日火曜日夕方、山田、天国へ行ってしまいました。
担当マネージャーによると、葬儀は2026年7月19日に親族、友人、仕事関係者に見送られて執り行われました。
また、マネージャーは山田さんががんと診断されたのは2024年7月で、約2年間の闘病生活だったと説明しています。
治療にも同席していたマネージャーは、病院の駐車場に咲く桜を一緒に眺めながら、翌年もまた桜を見ようと話していたことを振り返りました。
山田さんは、意思疎通ができるようになること、再び話せるようになることなど、日々小さな目標を立てて治療に向き合っていたといいます。
2026年7月31日:最後の講義「メメント・モリ」が公開死去後の7月31日、公式YouTubeチャンネルで「メメント・モリ」をテーマにした最後の講義が公開されました。
この動画は、亡くなる5〜6日前に収録されたものだと、TBS NEWS DIGが8月1日に報じています。
鼻に医療用チューブを装着し、息を整えながら約20分間の講義を行う山田さん。テーマは「メメント・モリ」、つまり死を想えという意味を持つ言葉でした。
講義では、ドクロを描いた絵画などを取り上げ、西洋美術を通して生と死について語っています。
収録を続ける理由について、山田さんは「今できることは今やる」と説明しました。
加えて、これまで約5年半にわたって続けてきたチャンネルについて、今回のような収録は最後になるかもしれないと話し、視聴者や制作スタッフへの感謝を伝えています。
担当マネージャーは訃報発表の中で、この動画を山田さんが最後に残した講義として紹介しました。美術や歴史を分かりやすく伝えてきた山田さんらしい、最後のメッセージとなりました。
【山田五郎さんとはどんな人物だったのか】編集者から美術評論家、YouTuberへ
山田五郎さんは、1958年12月5日生まれ、東京都出身。本名は武田正彦(たけだ・まさひこ)です。
上智大学文学部を卒業後、講談社に入社。雑誌『Hot-Dog PRESS』の編集長などを務め、2004年に独立しました。
編集者として培った情報収集力や編集力を生かし、西洋美術、時計、ファッション、街づくりなど幅広い分野で執筆・講演活動を展開しました。
テレビでは『タモリ倶楽部』やテレビ東京系の『出没!アド街ック天国』などに出演。知識の豊富さだけでなく、難しいテーマをユーモアを交えて説明する独特の語り口でも親しまれました。
2021年からはYouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」を展開。西洋絵画を中心に、作品の背景や画家の人生を掘り下げる内容が人気を集めました。
2025年には、同チャンネルの斬新さと面白さが評価され、第17回伊丹十三賞を受賞しています。
この受賞は、単なる知名度だけではなく、美術を専門家だけのものにせず、一般の視聴者にも開かれた教養コンテンツとして届けた功績が認められたものです。
がん公表後も仕事を続けた背景には、長年にわたり積み上げてきた編集者・評論家としての仕事への意識がありました。本人は2026年1月の集英社オンラインの対談で、終活よりも仕事をしたいという考えを語っています。
最後の講義まで美術を解説し続けた姿は、山田さんが生涯を通じて大切にしていた知的好奇心と発信への情熱を伝えています。
【山田五郎さんのがんに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:山田五郎さんのがんは何という病気でしたか?
A1:原発不明がんです。2024年10月4日に自身のYouTubeチャンネルで公表しました。骨やリンパ、肝臓などへの転移が確認され、本人はステージ4Bと説明していました。
Q2:山田五郎さんは人間ドックでがんが見つかったのですか?
A2:はい。2024年7月末の人間ドックで異常を指摘され、その後MRIやPET検査を受けたことで、骨・リンパ・肝臓などに広がった病変が確認されました。
Q3:山田五郎さんはどのような抗がん剤治療を受けていましたか?
A3:本人の2026年1月の対談によると、最初はカルボプラチンとパクリタキセルを使用。その後、オプジーボを試しましたが、高熱や画像上の治療効果が得られなかったことから中止したと説明しています。
Q4:山田五郎さんはいつ亡くなりましたか?
A4:2026年7月14日夕方です。67歳でした。担当マネージャーが7月22日に公式YouTubeチャンネルで発表しました。
Q5:山田五郎さんの最後のYouTube動画は何ですか?
A5:2026年7月31日に公開された「メメント・モリ」をテーマにした最後の講義です。亡くなる5〜6日前に収録されたもので、視聴者への感謝や人生についてのメッセージが込められています。
山田五郎さんは、2024年夏に原発不明がんと診断され、同年10月にステージ4Bであることを公表しました。
骨やリンパなどへの転移、腰椎圧迫骨折という厳しい病状の中、放射線治療や複数の薬剤による抗がん剤治療を受けながら、執筆、テレビ出演、YouTubeでの活動を続けました。
2025年には第17回伊丹十三賞を受賞。しかし、2026年3月の昏睡状態を境に病状は悪化し、車いす生活や酸素吸入が必要となりました。そして、7月14日、67歳でその生涯を閉じています。
特に印象的なのは、亡くなる5〜6日前まで最後の講義を収録していたことです。「今できることは今やる」という言葉には、仕事と教養の発信に人生を捧げてきた山田さんの姿勢が表れています。
原発不明がんという病気の難しさを伝えた一人であると同時に、最後まで自分らしい表現を続けた評論家でもありました。山田五郎さんが残した美術や文化への知的な視点は、今後も著書や映像、YouTubeに残された講義を通して、多くの人に受け継がれていくでしょう。
主な参照資料:国立がん研究センター「がん情報サービス」、集英社オンライン(2026年1月31日掲載の本人・専門医対談)、スポーツニッポン(2024年10月4日)、伊丹十三記念館、テレビ朝日ニュース、ORICON NEWS、TBS NEWS DIG、日刊スポーツの報道。