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【発言の由来】「痛みに耐えてよく頑張った」は小泉純一郎が貴乃花に贈った言葉

泉 日向子 泉 日向子 • 更新: • 公開: • 読了約 13 分
目次

この名言を発したのは、第87代内閣総理大臣・小泉純一郎です。

舞台となったのは、東京都墨田区の両国国技館で開催された2001年5月27日の大相撲夏場所千秋楽。小泉首相は優勝した東横綱・貴乃花に内閣総理大臣杯を授与し、その際に力強い声で称賛の言葉を送りました。

当時の報道記録や後年の振り返り記事で紹介されている発言は、次のとおりです。


小泉純一郎・2001年5月27日

「痛みに耐えて、よく頑張った!

痛みに耐えてよく頑張った

感動した!おめでとう!」

大相撲夏場所千秋楽・表彰式

共同通信の当日記録を掲載した資料では、表彰状を読み上げた後、小泉首相がアドリブでこの言葉を発したと伝えられています。後年の報道では「おめでとう」を省略し、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」の部分を中心に紹介するケースもあります。

なぜ小泉純一郎は貴乃花にこの言葉を贈ったのか

最大の理由は、貴乃花が負傷を抱えながら優勝を勝ち取ったことです。

貴乃花は前日の14日目、大関・武双山との取組で右膝を負傷。千秋楽への出場さえ危ぶまれる状態でした。

それでも土俵に上がり、武蔵丸との優勝決定戦を制して優勝。小泉首相は、その一連の戦いを目の当たりにしたうえで、貴乃花の努力をたたえました。

この場面について、2025年に公開されたnippon.comの「今日は何の日」でも、2001年5月27日の歴史的出来事として取り上げられています。

【歴史的名勝負】2001年5月27日、大相撲夏場所で何が起きたのか

この発言を理解するには、2001年夏場所の展開を知る必要があります。

当時の貴乃花は、すでに第65代横綱として幕内優勝21回を記録していた大横綱です。2001年初場所でも優勝し、夏場所では再び優勝争いの中心にいました。

ところが、優勝目前で予想外の事態が起こります。

5月26日、武双山戦で右膝を負傷

夏場所14日目、貴乃花は大関・武双山と対戦しました。

この取組で武双山の巻き落としを受けた際、右膝を負傷。右膝の亜脱臼と半月板損傷が伝えられ、歩くことさえ困難な状態になりました。

当時の報道によると、付き人の肩を借りて支度部屋に戻るほどの重傷でした。

師匠であり父でもあった二子山親方らは休場を勧めましたが、貴乃花は千秋楽への出場を選択します。

5月27日、本割では武蔵丸に敗れる

千秋楽の結びの一番は、東横綱・貴乃花と西横綱・武蔵丸の対戦でした。

この時点で、貴乃花は負傷した右膝にテーピングを施して土俵に上がっています。

しかし、本割では武蔵丸の突き落としに敗北。両者はともに13勝2敗となり、優勝決定戦に進むことになりました。

優勝決定戦で武蔵丸を上手投げ

本割から間もなく行われた優勝決定戦。

貴乃花は武蔵丸との攻防で左上手を取り、最後は渾身の上手投げを決めました。

武蔵丸の巨体を土俵に転がし、貴乃花は2場所ぶり22回目の幕内優勝を達成します。

日刊スポーツの当時の紙面を振り返る記事では、優勝決定戦の取組時間は13秒2と記録されています。本割で敗れた直後の劇的な逆転劇でした。

当日の出来事と人物の関係を時系列で整理
日時・場面 出来事 関係人物・意味
5月26日 武双山戦で右膝を負傷 貴乃花が亜脱臼
5月27日・本割 武蔵丸に敗北 両者13勝2敗
5月27日・決定戦 貴乃花が上手投げで勝利 22回目の幕内優勝
5月27日・表彰式 総理大臣杯を授与 小泉純一郎が祝福
2003年1月 貴乃花が現役引退 横綱としての土俵人生に幕
2018年10月 日本相撲協会を退職 相撲協会を離れる

【右膝の負傷】貴乃花はどれほどの痛みを抱えていたのか

この名場面を語るうえで欠かせないのが、貴乃花の右膝の状態です。

単に足を痛めていたという程度ではありません。報道や相撲史の回顧記事では、右膝の亜脱臼や半月板損傷を伴う重傷だったと紹介されています。

休場を勧められても出場を選んだ理由

優勝を争っていた貴乃花にとって、千秋楽は極めて重要な一日でした。

14日目までの成績は13勝1敗。2敗で追う武蔵丸が優勝争いに残っていました。

貴乃花が休場すれば、武蔵丸が不戦勝となり、優勝の行方にも大きな影響が生じます。

Numberの回顧記事では、貴乃花が休場する意思を示さず、横綱としてではなく一人の力士として土俵に立つことを望んでいた経緯が紹介されています。

優勝後も右膝の負傷は影響した

この一番は感動的な優勝として記憶されていますが、けがを押して出場した代償は小さくありませんでした。

スポニチの2020年の回顧記事によると、右膝は回復せず、貴乃花はその後7場所連続で全休しました。

2002年秋場所に復帰し、優勝争いにも加わりましたが、同場所が最後の皆勤場所となります。

そして、2003年1月場所を最後に現役を引退しました。日本相撲協会の公式プロフィールにも、引退場所は平成15年1月場所と記録されています。

この経緯を考えると、2001年5月27日の優勝は単なる22回目の幕内優勝ではありません。貴乃花の現役生活を振り返るうえでも、非常に大きな意味を持つ一番だったのです。

【名言の意味】なぜ「痛みに耐えてよく頑張った」は今も語り継がれるのか

小泉純一郎の発言が長く記憶されているのは、短い言葉の中に、試合の結果とそこに至る過程の両方が表れているからです。

1. 勝利だけでなく努力の過程を評価した

「よく頑張った」という部分は、優勝という結果だけを祝う言葉ではありません。

右膝を負傷し、周囲から休場を勧められながらも土俵に立った貴乃花の姿勢に対する評価です。

仮に優勝決定戦で敗れていたとしても、負傷を抱えて最後まで戦った事実は変わりません。

この発言が評価しているのは、勝者という肩書だけではなく、そこに至るまでの努力です。

2. 「感動した」は小泉純一郎自身の率直な感情

「感動した」という表現も印象的です。

政治家の公式発言では、政策や成果を説明するために長い言葉が使われることもあります。しかし、この場面で小泉首相が選んだのは、非常に簡潔な感情表現でした。

「私は感動した」という主観をそのまま伝えることで、観客が感じていた興奮とも重なったのです。

3. 「おめでとう」で祝福を完成させた

最後の「おめでとう」は、優勝者への祝福です。

発言全体を整理すると、次の3段階になります。

- 痛みに耐えてよく頑張った: 苦難と努力への評価
- 感動した: 見ていた側の率直な感情
- おめでとう: 優勝という結果への祝福

この構成が、言葉を聞いた人にとって理解しやすく、記憶に残りやすい理由の一つです。

4. 「痛みに耐えること」を無条件に美化してはいけない

もう一つ、現在の視点から考えておきたい点があります。

この発言は、貴乃花が負傷を押して優勝した歴史的な出来事に対する称賛です。

あらゆるけがや病気について、無理をして耐えることが正しいという意味ではありません。

スポーツの世界では、選手の健康と競技生命を守ることも重要です。実際に貴乃花自身も、この優勝後に長期休場を余儀なくされました。

したがって、この名言の本質は、痛みを我慢する行為そのものではなく、困難な状況に立ち向かった一人の力士に対する敬意にあります。

【人物のその後】貴乃花と小泉純一郎は2026年現在どうしている?

この名場面から25年以上が経過した2026年。二人はそれぞれ異なる道を歩んでいます。



1972年8月12日生まれ・2026年11月現在54歳
第65代横綱。幕内優勝22回。2003年1月に現役を引退し、2018年10月に日本相撲協会を退職しました。



1942年1月8日生まれ・2026年11月現在84歳
2001年4月から2006年9月まで首相を務めた元政治家。2009年の衆議院議員選挙には出馬せず、政界を引退しています。



貴乃花の現在:相撲協会を離れ、個人として活動

貴乃花は現役引退後、親方として後進の育成に携わりました。

2018年には日本相撲協会を退職。その後は相撲の普及活動やメディア出演など、活動の場を広げてきました。

2026年も近況が報道されています。日刊スポーツなどでは、SNSを通じた近影やゴルフ、野球などを楽しむ様子が紹介されています。

特に2026年10月には、20年ぶりに野球を楽しんだことを自身のSNSで報告したと報じられました。現役時代の厳しい横綱の姿とは異なる一面が伝わっています。

小泉純一郎の現在:政界引退後も元首相として知られる存在

小泉純一郎は、2006年に首相を退任し、2009年に国会議員を引退しました。

2026年現在は84歳。現役の首相や国会議員ではありません。

2026年10月の報道では、テレビ番組で長男の小泉孝太郎が父親の近況について語り、84歳になった現在も元気に過ごしている様子が紹介されました。

2001年当時、首相就任直後だった小泉氏の率直な発言は、その後も本人の代表的な名言の一つとして振り返られています。

二人の関係は「表彰する首相」と「優勝した横綱」

ここで押さえておきたいのは、二人の間に特別な師弟関係や共同活動があったわけではないという点です。

小泉純一郎は、その日の優勝者に内閣総理大臣杯を授与する立場でした。貴乃花は、土俵上で優勝を勝ち取った横綱です。

歴史に残ったのは、表彰する側とされる側という公的な関係の中で、首相が個人的な感動を率直に表現したことでした。

【誤解を解消】「痛みに耐えてよく頑張った」に関する3つの疑問

この言葉については、発言者や発言時期、全文の扱いなどで混同されることがあります。

小泉純一郎と貴乃花、どちらの名言?

発言者は小泉純一郎です。

貴乃花が優勝した際、小泉首相が表彰式で贈った言葉です。貴乃花本人の発言ではありません。

「感動した」だけでも正しい?

「感動した」は実際に発言に含まれていた言葉です。

ただし、一般的に紹介される全文は「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!おめでとう!」です。

2001年5月27日は何の記念日?

大相撲夏場所の千秋楽で、貴乃花が武蔵丸との優勝決定戦を制して22回目の幕内優勝を果たした日です。

この日の表彰式で、小泉首相が名言を残しました。

「痛みに耐えてよく頑張った」は、2001年5月27日の大相撲夏場所千秋楽で、小泉純一郎首相が貴乃花に贈った言葉です。

右膝を負傷しながら武蔵丸との優勝決定戦を制した貴乃花。その姿を称賛する小泉首相の言葉は、単なる優勝祝福を超えた名場面として記憶されています。

この記事で押さえておきたい事実は次のとおりです。

- 発言者は当時の首相・小泉純一郎。
- 発言日は2001年5月27日。
- 相手は第65代横綱・貴乃花。
- 貴乃花は右膝を負傷しながら武蔵丸を上手投げで破り、22回目の優勝を達成。
- 発言の全文は「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!おめでとう!」。
- 2026年現在、貴乃花は元横綱として、小泉純一郎は元首相として、それぞれ異なる人生を歩んでいる。

この名言が今も人々の記憶に残る理由は、勝利の結果だけでなく、そこに至るまでの努力や苦難に目を向けているからです。

「感動した」という短い言葉の裏側には、一人の横綱が見せた執念と、それを見届けた首相の率直な敬意がありました。 2001年のあの瞬間は、これからも日本のスポーツ史を彩る名場面として語り継がれていくはずです。

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デジタルマーケター 泉 日向子
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リーグ公式の記録ページと球団発表を出典とし、成績は集計期間を明記。現地取材と配信情報を区別して記述します。

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