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富岡八幡宮事件はなぜ起きた?襲撃の経緯と宮司継承問題、2026年の現在を徹底解説

芹沢 陽斗 芹沢 陽斗 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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2017年12月7日、東京都江東区の富岡八幡宮で発生した「富岡八幡宮事件」。宮司だった富岡長子さんが、元宮司で弟の富岡茂永とその妻・真里子によって襲撃され、長子さんと弟夫妻の計3人が死亡、専属運転手の男性1人が重傷を負うという痛ましい事件だった。事件の背景には、富岡家で長年続いていた宮司職の継承問題があったとされる。

なぜ姉と弟の対立は深刻化し、取り返しのつかない事件に発展したのか。神社本庁からの離脱、約2800通の文書、過去の脅迫事件、そして事件後に宮司代務者となった丸山聡一氏の現在まで、2017年の発生から2026年の富岡八幡宮の状況までを時系列で整理する。



- 事件の発生: 2017年12月7日、富岡長子さんが弟の富岡茂永とその妻・真里子に襲撃され、3人が死亡。運転手も重傷を負った。
- 事件の背景: 1995年の弟の宮司就任、2001年の退任、姉への継承を巡る長年の親族間の対立があった。
- 事件後の体制: 権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者となり、2018年には宮司に就任した。2026年も宮司を務めている。

【事件の全体像】2017年12月7日に富岡八幡宮で何が起きたのか

富岡八幡宮事件

富岡八幡宮事件は、東京都江東区富岡にある富岡八幡宮の周辺で発生した殺傷事件である。

事件が起きたのは、2017年12月7日午後8時25分ごろ。帰宅した宮司の富岡長子さんが襲撃され、その後、専属運転手の男性も負傷した。

警視庁の捜査に関する報道では、襲撃したのは長子さんの弟で元宮司の富岡茂永と、その妻の富岡真里子だった。

事件後、茂永は妻を殺害し、自らも死亡した。結果として、長子さん、茂永、真里子の3人が死亡し、運転手の男性1人が負傷した。

被害者と事件関係者は誰だったのか

事件に関係した主な人物を整理すると、次のようになる。

- 富岡長子さん: 当時58歳。富岡八幡宮の宮司。襲撃によって死亡した。
- 富岡茂永: 当時56歳。長子さんの弟で、元宮司。姉への襲撃後、妻を殺害し、自らも死亡した。
- 富岡真里子: 当時49歳。茂永の妻。運転手を襲撃し、その後、夫によって殺害された。
- 専属運転手の男性: 当時33歳。長子さんとともに帰宅していた際に襲われ、重傷を負った。

共同通信のニュース用語解説や当時の報道では、長子さんへの襲撃に日本刀が使われ、真里子も運転手を刃物で襲ったと伝えられている。

この事件が大きな衝撃を与えた理由は、単に神社関係者の間で発生した殺傷事件だったからではない。

江戸時代から続く歴史を持ち、地域の信仰や祭礼の中心だった神社で、宮司本人が親族によって殺害されたという異例の事態だったからだ。

【事件の原因と理由】富岡家の宮司職継承問題はなぜ深刻化したのか

事件の背景を理解するには、富岡家における宮司職の継承と、神社本庁との関係を分けて考える必要がある。

富岡八幡宮では、長年にわたって富岡家が宮司を務めてきた。ところが、1995年に宮司となった茂永が2001年に退任し、その後、姉の長子さんが後継者として浮上したことで、親族間の対立が長期化した。

1995年、富岡茂永が第20代宮司に就任

富岡八幡宮では、1994年に父親の富岡興永が体調を崩して宮司を退任した後、1995年3月に長男の茂永が第20代宮司に就任した。

しかし、茂永の宮司在任期間は長く続かなかった。

2001年5月、茂永は宮司を退任。報道では金銭問題などが退任の背景として伝えられている。その後、父の興永が宮司に復帰した。

この時点で、富岡家の宮司職を誰が引き継ぐのかという問題が再び浮上することになった。

2002年から2006年、姉弟間の対立が表面化

茂永の退任後、長子さんと弟の関係は悪化していった。

2002年1月、長子さんは宮司の地位を巡る親族間のトラブルについて警視庁深川署に相談していたと報じられている。

さらに2006年1月には、茂永が長子さんに脅迫的な内容のはがきを送ったとして、脅迫容疑で逮捕された。

報道されたはがきには、姉に対する強い恨みを示す内容が記されていた。

つまり、2017年の事件は、突然発生した一時的な口論によるものではない。少なくとも事件の10年以上前から、宮司職を巡る対立と脅迫問題が表面化していた。

2010年、長子さんが後継者として動き始める

2010年、父の興永が体調不良などを理由に宮司を退任した。

富岡八幡宮側は、後継者として長子さんの宮司就任を神社本庁に具申した。

ただし、ここで問題になったのが、宮司を任命する権限だった。

当時、富岡八幡宮は神社本庁に包括される神社だったため、正式な宮司の任命には神社本庁側の手続きが関係していた。

長子さんは宮司代務者として神社の運営を担ったが、正式な宮司への就任は認められない状態が続いた。

2017年9月28日、神社本庁から離脱

2017年、宮司人事を巡る対立は新たな段階に進む。

富岡八幡宮側は、長子さんの宮司就任を求めて神社本庁に複数回の要望書を提出していた。しかし、任命は実現しなかった。

宗教情報センターの研究員レポートによると、2017年3月までに計4回の要望書が提出され、同年5月の責任役員会で神社本庁からの離脱が決定された。

そして、2017年9月28日、富岡八幡宮は神社本庁から離脱し、単立の宗教法人となった。

これによって長子さんは宮司に就任した。

事件が発生したのは、その約2か月後だった。

【事件の真相と経緯】襲撃までの重要な出来事を時系列で整理

ここでは、富岡八幡宮事件の理解に欠かせない出来事を年代順にまとめる。

時期 出来事・人物の動き 1995年3月 富岡茂永が第20代宮司に就任。 2001年5月 茂永が宮司を退任し、父の興永が復帰。 2002年1月 長子さんが宮司職を巡る親族間のトラブルを警察に相談。 2006年1月 茂永が長子さんへの脅迫容疑で逮捕。 2010年 父の退任後、長子さんの宮司就任を神社側が神社本庁に具申。 2017年9月28日 富岡八幡宮が神社本庁から離脱。長子さんが宮司に就任。 2017年12月7日 長子さんが襲撃され死亡。茂永と真里子も死亡し、運転手が負傷。 2017年12月9日 責任役員会が権宮司の丸山聡一氏を宮司代務者に選出。 2018年1月24日 富岡長子さんの神社葬が営まれる。 2018年 丸山聡一氏が正式に宮司に就任。 2018年9月28日 東京地検が茂永と真里子を不起訴処分。 2025~2026年 丸山聡一宮司のもとで祭礼や神社運営が続く。

この年表から分かるのは、事件の直前に突然、継承問題が発生したわけではないという点だ。

宮司の交代、長子さんの代務者就任、神社本庁との人事調整、神社本庁からの離脱という複数の出来事が積み重なっていた。

約2800通の文書に記されていた要求

事件後、茂永の名前が記された文書が神社関係者や報道機関などに届いたことも、大きな注目を集めた。

共同通信や当時の報道、宗教情報センターの記録によると、その数は約2800通に上った。

また、2017年12月11日付のデイリースポーツは、茂永名義の文書を入手したと報道している。

文書には富岡八幡宮や家族間の問題についての主張が記され、長子さんを神社から追放することなどを求める内容が含まれていた。

加えて、富岡家の次世代への宮司職継承を求める要求も報じられた。

この文書は、茂永が宮司職の問題を事件直前まで強く意識していたことを示す資料の一つである。

ただし、文書に書かれた内容は茂永側の主張であり、そこに記された家族への批判や金銭に関する主張を、そのまま客観的事実と受け取ることはできない。

富岡八幡宮事件の直接的な動機は何だったのか

事件の背景として中心的に報じられたのは、宮司職を巡る長年の対立と、長子さんの正式な宮司就任だった。

特に、茂永が2001年に宮司を退任して以降、姉弟間の対立が続いていたこと、2006年の脅迫事件、2017年の神社本庁離脱と長子さんの宮司就任は、事件の経緯を考えるうえで重要な要素となる。

宗教情報センターの分析でも、長子さんの宮司就任が事件の引き金になったとみられている。

ただし、宮司職の継承問題だけで、事件のすべてを説明することはできない。

家族間の感情的な対立、長年の不信感、組織の人事を巡る問題などが重なっていた。個々の要素がどのような心理的影響を与えたのかについて、本人たちへの裁判で確定した説明は存在しない。

【権宮司と宮司の関係】丸山聡一氏はなぜ宮司代務者になったのか

事件後の富岡八幡宮で重要な役割を担った人物が、当時の権宮司だった丸山聡一氏である。

2017年12月9日、事件後の神社運営をどうするかを決めるため、富岡八幡宮の責任役員会が開かれた。

そこで、宮司の補佐を務めていた権宮司の丸山氏が、宮司代務者に選出された。

そもそも権宮司とは何か

神社の役職を理解するには、宮司、権宮司、宮司代務者の違いを知っておく必要がある。

役職 主な役割
宮司 神社の祭祀や運営を統括する責任者
権宮司 宮司を補佐し、必要に応じてその職務を代行する神職
宮司代務者 宮司が不在の場合などに、その職務を代行する者

権宮司は宮司に次ぐ立場の神職であり、神社の祭祀や日常的な運営を支える。

一方、宮司代務者は、宮司が不在となった際に職務を代行する役割を指す。

したがって、権宮司になったからといって自動的に次の宮司に就任するわけではない。

富岡八幡宮の場合、事件によって宮司の長子さんが亡くなったため、神事や宗教法人の運営を継続する必要があった。

そこで、既に神社の実務を担っていた丸山氏が代務者に選ばれたのである。

丸山聡一氏は2018年に正式な宮司へ

丸山氏は2017年12月9日に宮司代務者となった後、2018年に正式な宮司に就任した。

これによって、富岡家の血縁者が宮司職を引き継ぐという従来の体制から、神社の運営を担っていた神職が宮司となる体制へ移行した。

事件直後の2018年1月25日付の日刊スポーツの記事でも、丸山氏が宮司代務者として神社と宗教法人の代表を担っていたことが報じられている。

これは、事件後の富岡八幡宮における大きな組織上の転換だった。

富岡家の親族間の問題と、地域の信仰を支える神社の運営を切り離すことが、事件後の体制を考えるうえで重要な意味を持った。

【富岡八幡宮事件のその後と現在】2026年の宮司体制と神社の状況

事件後、富岡八幡宮は神社としての祭祀や地域行事を継続してきた。

事件の法的な処理と、神社そのものの運営は別々に進んでいる。

2018年9月、茂永と真里子は不起訴に

事件後、警視庁は茂永と真里子について、殺人などの容疑で捜査を進め、容疑者死亡のまま書類送検した。

しかし、両名は事件の段階ですでに死亡していた。

そのため、2018年9月28日、東京地検は2人を不起訴とした。

茂永についての嘱託殺人容疑についても不起訴となっている。

ここで注意したいのは、不起訴は裁判によって無罪が確定したという意味ではないということだ。

被疑者が死亡しているため、刑事裁判による審理や判決には至らなかった。

このため、事件については、報道や捜査資料に残された経緯と、裁判によって確定した事実を区別して理解する必要がある。

富岡長子さんの神社葬は2018年1月に営まれた

2018年1月24日、長子さんの神社葬が富岡八幡宮近くの富岡斎場で営まれた。

日刊スポーツによると、当日は神職や氏子ら約300人が参列した。

長子さんの神社葬は、神社として事件に区切りをつける重要な機会となった。

2026年現在も丸山聡一氏が宮司を務める

2026年11月時点

事件から約9年が経過した2026年現在、富岡八幡宮では丸山聡一氏が宮司を務めている。

2025年7月に神道稲門会が公開した活動報告でも、丸山氏は富岡八幡宮の宮司として紹介されている。

加えて、2026年の深川八幡祭りの特設情報や地域報道でも、丸山氏が宮司として活動していることが確認できる。

つまり、事件直後の宮司代務者という暫定的な立場から、正式な宮司として神社を率いる体制へ移行し、その後も継続している。

富岡八幡宮は2027年に創建400年を迎える

2026年の富岡八幡宮は、事件後の組織運営だけでなく、歴史的な節目に向けた準備も進めている。

富岡八幡宮は1627年(寛永4年)創建と伝えられる神社で、2027年に御鎮座400年を迎える。

2026年の深川八幡祭り関連の特設サイトでは、丸山宮司が400年の節目を見据えた祭礼への意気込みを語っている。また、本殿の大規模改修事業についても紹介されている。

富岡八幡宮は、江戸三大祭りの一つとされる深川八幡祭りで知られる神社でもある。

事件によって大きな衝撃を受けた神社だが、祭礼や地域との関係を維持しながら、創建400年という歴史的な節目に向かっている。

【誤解されやすいポイント】富岡八幡宮事件で知っておきたい事実と注意点

事件を調べる際には、宮司職の継承問題、神社本庁との関係、事件後の刑事処分などが混同されやすい。

特に次の4点は整理しておきたい。

誤解1:富岡八幡宮事件は単なる姉弟げんかだった?

これは事件の背景を十分に説明していない。

報道から確認できるのは、2001年の茂永の宮司退任、2002年の長子さんによる警察への相談、2006年の脅迫事件、2017年の神社本庁離脱と長子さんの宮司就任という、長年にわたる経緯である。

個人的な姉弟間の感情だけでなく、神社の代表者を誰が務めるかという組織上の問題も重なっていた。

誤解2:神社本庁から離脱したことが事件の唯一の原因?

神社本庁からの離脱は、事件直前の重要な出来事だった。

しかし、姉弟間の対立は2001年以降に続いており、脅迫事件も2006年に発生している。

そのため、2017年9月の離脱だけを事件の原因とするのは正確ではない。

離脱は長年の対立が表面化した局面の一つとして理解する必要がある。

誤解3:茂永が亡くなったことで富岡家の後継問題は解決した?

茂永の死亡によって、事件の直接的な加害者に対する刑事手続きは不起訴という形で終結した。

一方、神社の運営については、責任役員会が丸山氏を宮司代務者に選び、その後、正式な宮司に就任させている。

つまり、事件後の神社運営は、富岡家の血縁による継承ではなく、神社の組織としての体制によって継続された。

誤解4:富岡八幡宮は事件後に神社としての活動を停止した?

そのような事実はない。

2025年、2026年の活動報告や祭礼情報からも、富岡八幡宮が祭祀や深川八幡祭りを継続していることが分かる。

2026年には創建400年を翌年に控えた事業や本殿改修も進められている。

事件の悲惨さと、神社が地域社会に果たす役割は、分けて考える必要がある。

【富岡八幡宮事件】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:富岡八幡宮事件はいつ起きましたか?

2017年12月7日午後8時25分ごろです。東京都江東区の富岡八幡宮周辺で発生し、富岡長子さん、弟の富岡茂永、その妻の真里子の3人が死亡しました。専属運転手の男性1人も負傷しています。

Q2:富岡長子さんを襲撃した犯人は誰ですか?

長子さんの弟で元宮司の富岡茂永です。妻の真里子も事件に関与し、運転手を襲撃しました。その後、茂永は真里子を殺害し、自らも死亡しました。

Q3:富岡八幡宮事件の原因は何だったのですか?

主な背景として報じられているのは、富岡家の宮司職継承問題です。茂永が2001年に宮司を退任した後、姉の長子さんが後継者となり、2017年には正式に宮司へ就任しました。こうした継承を巡る長年の対立が事件の背景にあったとみられています。

Q4:富岡茂永の妻・真里子はどうなりましたか?

真里子は事件当日に運転手を襲撃した後、夫の茂永によって殺害されました。茂永とともに死亡したため、2018年9月28日に東京地検から不起訴処分となっています。

Q5:事件後の宮司は誰ですか?

事件直後は、権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者となりました。その後、2018年に正式な宮司に就任し、2026年現在も宮司を務めています。

Q6:富岡八幡宮は現在も参拝できますか?

はい。富岡八幡宮は事件後も神社としての活動を継続しています。深川八幡祭りなどの祭礼も行われており、2027年の御鎮座400年に向けた準備も進んでいます。

富岡八幡宮事件は、2017年12月7日に発生した、宮司の富岡長子さんと弟の富岡茂永、その妻・真里子が死亡し、運転手が負傷した重大な殺傷事件である。

その背景には、1995年の茂永の宮司就任、2001年の退任、長子さんへの継承、2006年の脅迫事件、そして2017年の神社本庁離脱と宮司就任という長い経緯があった。

事件後は、権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者となり、2018年に正式な宮司に就任。2026年現在も、富岡八幡宮の運営と祭礼は継続されている。

この事件から読み取れる重要な点は、神社の宮司職が単なる家族内の世襲問題ではないということだ。宮司は宗教法人の代表者として神社を統括し、祭祀や地域との関係を支える責任を担う。その継承には、親族の意向だけでなく、神社の組織運営や関係者の合意も関わってくる。

富岡八幡宮事件は、家族間の対立が神社という公共性の高い宗教組織の運営に深刻な影響を及ぼした事件だった。

2027年に創建400年を迎える富岡八幡宮にとって、これからの歴史をどのように築いていくかは大きな節目となる。事件の記憶を踏まえながら、地域の信仰と伝統を次の世代へ引き継いでいくことが求められている。

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コンテンツディレクター 芹沢 陽斗
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